曹洞宗 大浦山海蔵寺

海蔵寺 全景

海蔵寺の起源

海蔵寺の起源は明応元年(1492年)に遡り、津軽氏の祖である大浦氏の祖、大浦光信公が、現在の鯵ヶ沢市種里に寺院を建立したことが始まりとされています。
これは津軽地方における最初の曹洞宗寺院であったと伝えられています。

光信公は、父である元信公の7回忌、祖父である威信公の50回忌の年に合わせ、この海蔵寺を建立し、同年4月28日に大法要を執り行いました。

種差にある海蔵寺史跡
種差にある海蔵寺史跡。檀家さんの宅地にあり、ご好意から無償で清掃などをして頂けている。

正式な開山と本寺・長勝寺との関係

建立当初から数代の住職が続きましたが、後に石見の国(現在の石川県)花谷より、江山智永(こうざんちえい)禅師が迎えられました。
江山禅師は、師匠である菊仙寿和尚(きくせん じゅおしょう)の下で禅を極めた高僧でした。
一方でそれまでの海蔵寺住職には正式な修行を経た者が居らず、江山禅師はそれまでの住職の籍を除き、改めて自らを実質的な海蔵寺開山(初代住職)としたのでした。

光信公は後に菩提寺として長勝寺を建立し、その開山として江山禅師が招かれましたが禅師は辞退し、代わりに自らの師である菊仙寿和尚を長勝寺の開山として推薦しました。
こうした歴史的経緯から、長勝寺は海蔵寺の本寺(本家筋の寺院)という関係にあります。

(「本寺」にたいして「末寺」というお寺がある。末寺の住職の師匠が開山となる事で本寺となったり、また本寺の住職が退いた後にお寺を開いてそれが末寺となったり、成立には他にも色々な場合があり、時代によって言葉自体の意味も異なってくる。)

岩木町五代にある海蔵寺史跡
岩木町五代にある海蔵寺史跡。こちらも個人の敷地内にあり、種差の史跡と同じくご好意から無償で清掃などをして頂けている。

堂宇改修の歴史

現在の海蔵寺の山門・堂宇のほとんどは、嘉永2年(1849年)に中興(ちゅうこう)27世・喚山璞応(かんざんぼくおう)禅師によって為された大改修・再建によるものです。(中興とは、お寺の改修などでお寺に大きく貢献した住職を指す。)
禅師はその後、津軽一円の各寺の住職を務め、大喚山法系と呼ばれる多くの弟子を残していきました。 山門前の薬師堂(通称は「たこ薬師さま」)は喚山禅師の時代である天保7(1836)年の建立で、今も多くの方に手を合わせて頂いております。

以後、21歳の若さで海蔵寺32世となった自照魯珠禅師(じしょうろしゅぜんじ)の代に、以下に示す盛んな改修が行われました。
大正7(1918)年、檀信徒から3千円の寄付を得て開山堂を増築(新築)
大正10(1921)年、同じく4千数百円をもって本堂、屋根回り、土台その他の大修理
昭和2(1927)年、2千数百円をもって土蔵及び庫裏の一部を改築
昭和13(1938)年、工費約1万円をもって位牌堂を改築